こんにちは、だいきっちゃんです。
ただいま挽くの地域では山菜が全盛で、じいちゃんもばあちゃんも、親父もおかんも、子供も若者もこぞって山に芝刈りに行っています。
山のアスパラ「しおで」
田舎で豊かな生活
毎度毎度、山菜採りしていて「なんて豊かな土地なんだ」って思います。
豊かさというのは、こういうもんか。と。
お金も必要だけど。
そして、都市部では「密」を作らないように生活をすることが、これからは日常として当たり前になって行くのかもしれない。と。
でも、それならばいっその事、地方に移り住めば良いと思います。
簡単には決断できないことだと思いますが、人生は一回きりです。
都市に移っていった地元の友人とかには
「なんもないじゃん。不便だよ。仕事ないし。」
って言われることが結構あります。
その通り。
近所になんでも揃う大型スーパーや、高級食材を扱うようなお店もないし、お洒落なカフェも歩いて行ける場所にはありません。
人通りも少ないし、出会いも少ない。
仕事といえば百姓をしている人が多くて、周りは田んぼや畑だらけ。
散歩しようと、整備された公園ではなくて近くの山の麓にある滝まで歩いたり。
夏になれば近所のおっちゃんおばちゃんが「畑で採れたての野菜」を置いていったり。
秋になれば「きのこを山で」採ってきたからと、お裾分けをくれたり。
冬には雪が降って寒いけど、雪の中に野菜を入れておけば甘くなる。
ん?
これのどこが何もないのだろう?
春は山菜の時期だから、山に行けば必要な栄養は取れちゃうし、なんだか毎日の食卓が豪華。
山菜採りって、ちょっと前まで「じいちゃんばあちゃんの趣味」かと思ってたけど、全然違う。
最高のアクティビティだ。笑
熊が出るなんてしょっちゅう聞くことで、極上の山菜を探そうと思ったら奥へ奥へ行かなければ行けない。
「パキっ」と木が折れる音に、「熊か!?」とか怯えながら(かなりのビビリ)、開拓されていない山道を進むスリルは抜群だ。
急に視界が開けたと思ったら山菜が群生していたりして、宝島を発見したような気分になる。
う〜む・・・。こんな体験を一生しないで「便利な生活」で人生を終える人もたくさんいるだろうし、この行為がダサいと思ってる若者たくさんいるんだろうな。
山菜は、「どうぞ食べてくれ」と言わんばかりにポツっと生えている。
明らかに「山菜です!」って言っている気がする。
この山菜を摘む時の感動を是非味わってもらいたいと思うのと同時に、
「豊かさとはなんだろうか?」といつも考えてしまうというわけです。
すると、その気持ちに畳みかけてくるように山菜は顔を出してきます。
まさかの「しおで」
この日は蕨(わらび)を主に探していた。
偉そうに山菜を語っているが、何を隠そう僕こそが「山菜採りはじいちゃんばあちゃんの趣味」と思っていた。
というか、山菜を取るのが好きすぎて、沢山採ってくる人が必ず地域に2、3人いる。
その人たちが毎年のこの時期、お裾分けしてくれるので(かなりの量)自分で採りに行く必要性が実はない。
しかしこのコロナ禍の中、時間があるので山の幸としっかり向き合おうと思い山に行くようになったのだが、一瞬でハマってしまった。
見つけた時の感激さといい、摘む時の感触といい、他では味わえない。
これが全て、地球の自然の循環が為しているのだと思うと、胸の奥で何かがウズウズしてくる。
自然の循環の恵をいただき、自分も自然の循環の流れにようやく飛び込めたという嬉しさと感謝の気持ちがどんどん溢れてくる。
「森林浴気持ち良いな〜」と呑気にスタートしている僕を尻目に、
山菜ガイドにとお願いした母は早速わらびを摘んでいた。
「ほれ、これだよ。蕨。」
おお!いきなり生えてるんだな!でも群生はしてないみたいだ。
ちらほら隣り合って出てきている蕨もいるけど、それほど多くの群生は作らないのかな???
根元を摘むと簡単に「ポキッ」と折れる。感触の気持ち良いこと・・・。
夢中になってポキポキと蕨を折りながら山を登っていたら、結構な量の蕨が袋いっぱいにたまっていく。
すると母がまた
「これがシオデだよ。」
おおおおおお!!これが幻の!
「今日はシオデがいっぱい食べれるかな?」と嬉しくなった。
目を凝らして、「しおでー。しおでー。」とシオデを探したが、わらびと違って全っっっっ然見当たらない!
目を凝らしてるせいか、蕨ばかり集まる!
「しおでー!しおでー!」
・・・・・・
そして結局見つけたのは4本くらい。
ほんとに幻の山菜だな・・・。
あんまり欲深く探索していると、「山の神様に何かされそうだ」という気持ちがよぎったので諦めることにした。
信じられないかもしれないが、山のたたりみたいのを地元の人間は皆体験している。
だから、山に行くときはかなり慎重だ。
味はアスパラ
「シオデ」は山アスパラと称されている山菜。
茹でて食べると本当にアスパラの味がする。山菜特有のアクが無く、苦くないのだ。
アクがないから茹でてすぐに食べられる。
お浸しにしても、マヨネーズつけて食べてもなんでもうまい。
実は栽培している農家もいたりして、畑で簡単に育てることができるのだが、
やはり「天然物」というところに価値があるように思える。
「日本の山に昔から生えている」ということを考えてみると、なんだか不思議な気持ちがするのは僕だけでしょうか?
終わりに
食べるという行為は、人間にとって重要な要素です。
そして「食べるために生活する」というのも人の常です。
大変なコロナ禍で、これからの社会行末は一体どうなるのやら・・・。
心配することもあるでしょうが、一度は自分のライフスタイルを振り返ってみてはいかがでしょう?
何が必要で、何が不要なのか。をゆっくりと考える時だと思います。
ということで、報告以上です。
下手くそな文章にお付き合いいただきありがとうございます。
田舎豊かっす〜!!!